吐いた煙が開けられた窓の手前で不思議な軌道を描いて、やっと外へ流れていった。春の嵐。春は短い、夏もあっという間に過ぎれば、秋なんていつの来たのかもわからなく、長いと思う冬も最近は寒い寒いと言ってる間に通り過ぎていってしまう。通り過ぎた年月の中で私が抱いてきた感情を思い返してみると、どれも嘘っぽくてくだらない。常に何かを感じて生きているからなのか、昔のことであればあるほど、その時の気持ちを「寂しかった」「嬉しかった」「悲しかった」「むかついた」、そういう型でしか思い出せなくなってくる。とくに、高校生という時期に抱いていたあの、どうしようもない寂しさとか怒りとかは特別にそうだ。自分が抱いてる感情を表現する術を知らなかった私は、音楽とか漫画とか小説に拠り所を求めていて、一冊の中から私に引用出来るたった数行や一言だけを追い求めていた。言葉は、本来の文脈から切り取られ、自分の文脈に上手く繋ぎあわせる。心の中は、たくさんの人の言葉で埋め尽くされていて、だけれどその言葉は結局は人のものであるが故に、どこかよそよそしい。あの時言葉に出来なかったことを、今改めて言葉にしてもやっぱりそれは、あの時とは違うものでしかない。 靄がかかったものを一言で片付けてしまった時にとても後悔する。言葉にならないものを無理やりに口に出したとき、そこで言葉にならなかったものは、どこへ行くことも出来ずに成仏できない亡霊のように心の中を彷徨っている。 

」への2件のフィードバック

  1. m より:

    靄がかかったものを一言で片付けると後悔、ほんとそうだな。更新楽しみにしています。あなたの文章とてもすき。

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