ちがう言語で語られた同じ時間について。

同じ夕日を見て、燃えるような赤い火を思い浮かべたあなただけれど、わたしはオレンジ色の熟した枇杷を想像したし、あなたの言う赤は範囲が広すぎて、わたしの橙も桃色も含めてしまう。
一方で、、わたしは耳が遠いから、どの音もひとつの点にしか聴こえないし、わたしの中の音は、ひとつの印を軸に上や下をいったりきたりするくらいで、音のかたちを知らない。あなたの音がどんなかたちをしているか、どんなものなのかを想像するけれど それも独りよがりであるしかない。
もう、わたしたちは、誰ひとり同じ言葉を話していない。
同じカタチを確かめ合うように、
赤い炎を
橙の枇杷を
うつくしい、となぞり合うのは 同じものを見ている可能性を確認したいからだ
わたしたちはもうずっと前から別々のものを見続けているはずで、指差す方向はわたしには見えない。 もうずっと前から もうずっと昔から なん千年だって そうやって生きてきた
わたしはそのうちに、ウオーン ウオーンと鳴き始めて でもそれでもずっと何からも逃れることはできないことを知りながら、それならばと言って、ケーン ケーンと鳴いてみたりなどして 身を寄せあっている、今までも これからだって、
言葉を失って わたしの歴史を失って、それが誰かの記憶になる頃に、ようやく安らかに眠れる気がしている 燃えたぎる炎で身体を焼かれて、なぞるように輪郭を確かめた指先が溶けて、なにがなんだかわからなくなって、ついには灰になったときに、ようやくかたちを失って
焚き火を囲んだあの夜、訳もわからずに踊ったライディーンの真ん中に燃えて消えた こどもたちにかける言葉などいらない